講談社の100冊の中で
犯罪の被害者の娘が
加害者の娘に会いに行くという
あらすじが面白そうだったので購入。
しんどい小説だった。
主人公の闇の深さを印象付けたかったのかもしれないけど、
もうええわって言うぐらい、
ハンマーで頭を砕かれた殺害の犯行の記述があり、
苦しむ主人公。
読んでるほうも疲れた。
とにかく、被害者の娘と加害者の娘と会うまでの辛抱だと、
いやいや読み進めていくと、
後半はつまんない小説へと変貌していった。
物語の最初から出ている、
裸で走って一等を祝福を求める狂った大学生がいきていないところが残念。
もっと分かりやすく、主人公の境遇とかぶせてくると思った。
途中で裸になったし。
主人公が何かを勝ち取って祝福を求める姿を期待しちゃった。
力まかせに鐘を鳴らしてやりたい。その肩からちぎれるほどに。
今、自分が口許に浮かべているのは、神様と取引をするための笑いではない。
あの女もおそらく内にこしらえている隠れ家。森を掻き分け、それを探し当て、蹂躙する楽しみ。
だから奏子は微笑んでいる。
講談社文庫P219より
被害者の娘と加害者の娘が
同じ心に似た闇を持って、
被害者の娘が、加害者の娘の傷をひろげにいく
という肉体的ではなく精神的に復讐するという着想はすごく面白い。
ネタバレになるけど、
このあらすじを読んだとき、
被害者の娘が、加害者の娘に会ったときの、
加害者の娘の反応も楽しみにしていた。
それが肩透かしだったのも消化不良。
カタルシスを感じなかった。←文学賞のコメントで使ってたので、使ってみたかった。
消化不良だけど、読後感はいい。
この小説のすばらしい応援団・高橋克彦さんの最後のあとがきが一番楽しい。
書評(10点中) 4点
いままで読んだ小説の中でも
一番すばらしい、
最高傑作で、
小説に限らずに
僕の人生にもっとも影響をあたえた。
とまで言うつもりはない。
(この小説の一説の真似した書き方)
だけど、普通に面白い。
で、
どう感想を書くか。
ストーリーが特に面白い訳でもない。
大学生が、夏休みに帰省したお話。
主人公も特筆するところがない。
スター性がない。
根性がない。
努力がない。
熱血がない。
執念がない。
夢もない。
もしあなたが芸術や文学を求めているのならギリシャ人の書いたものを読めばいい。真の芸術が生み出されるためには奴隷制度が必要不可欠だからだ。古代ギリシャ人がそうであったように、奴隷が畑を耕し、食事を作り、船を漕ぎ、そしてその間に市民は地中海の太陽の下で詩作に耽り、数学に取り組む。芸術とはそういったものだ。
夜中の3時に寝静まった台所の冷蔵庫を漁るような人間には、それだけの文章しか書くことはできない。
そして、それが僕だ。
講談社文庫P13より
風の歌を聴けで、
一番、引っかかったのは上の引用。
作家なんて、
詩作に耽るのが仕事だろ。
金払ったら、
いくらでも、
労働者が畑を耕し、食事を作り、船を漕いでくれるんだから。
あとは太陽の下でしかできないんなら、
夜中の3時じゃなくて、昼にしろ
と思った。
創作の僕じゃなくて、
村上春樹本人は健康的らしいけど。
この小説は、
畑を耕し、食事を作り、船を漕ぐ側の小説ではない。
太陽が沈んだころに、
酔っ払いながら
言葉遊びを楽しんでるだけの文章がならんでるだけの気もする。
ほんとに
何が面白いか分からない。
でも、面白い。
感想を考えながら、
三部作の2作目にあたる
1973年のピンボールを読み出した。
風の歌を聴けと、
1973年のピンボールの
感想がごっちゃまぜになりそうなので、
とりあえず、感想を残すことにしました。
よく分からんが面白い。
何が面白いかよく分からない。
でも、確実に面白かった。
書評(10点中) 6点
読みやすさ +0.5点
二人の書き手が、
一つテーマを
前半パートと後半パートに分かれて
交代で書く珍しいスタイルのエッセイ。
エッセイなのに
だらだらとした感じを受けないのは
常にもう一方の書き手を
意識して書いているからかもしれない。
二人で書いていると、
どうしても比べてしまう。
檀ふみ自身も書いてたけど、
阿川佐和子よりも原稿に時間をかけてる感じがする。
毎回、コンスタントに面白いのは、阿川佐和子
つぼに入れば面白いけど、空回りする回もある、檀ふみ
一番面白かった回は、檀ふみ
一番面白くなかった回は、檀ふみ
全般的に楽しい。
二人とも、作家の父を持つ共通点を持つ。
エッセイで、
家族(特に父親)が
こんなに頻繁に出ているのも珍しい。
育ちのよさも伝わってくる。
二人の仲のよさも伝わってくる。
背表紙に
阿川佐和子と檀ふみが二人で楽しそうに写っている
筆者写真がある。
筆者写真を
本を読んでいる途中で、
何回も見返したのは初めて。
書評(10点中) 5点
肉体が無防備になるにつれ、ヒトの攻撃手段はますます恐ろしいものになった。(略)
こうした武器なしでは(といっても、みずからに向けて使うことも多かったが)、ヒトはとうてい世界を征服を征服できなかっただろう。ヒトはそれらに心も魂も吹きこみ、武器たちもまた長年、主人によく仕えてきた。
しかし彼らが地上に存在するかぎり、ヒトは借りた時間を生きているのだ。
ハヤカワ文庫P64より
2001年宇宙の旅の映画は
物語の大筋はモノリスかもしれないが、
僕は、人間のボーマンと
コンピューターのハルとの駆け引きが
非常に印象に残っている作品だった。
生身で生きていけない宇宙空間で、
コンピュータに命令を拒否される。
コンピュータに対して言葉での説得という
自動販売機に対して値切るぐらい
無意味な行為を自覚しながら
どうすることも出来ず、
コンピュータにすがるしかない状況。
僕はコンピュータへの不信感が根強い。
この映画を見たときの恐怖感が強かった。
もともと文系で、昔からパソコンに親しんだわけでもないけど、
職業にプログラマーを選んだのは
コンピュータに対して無力という状況が怖いからだ。
こんな時、
コンピュータを制御出来るプログラマになりたいな。
と思った。
「システムにトラブルが起こってるんだ!
このシステムが動かないと、とんでもない大惨事になってしまう。
至急直してくれ!」
「報酬は3000万だ。びた一文負けないぜ」
システムの仕様も知らないのに、
モニタに驚異的に流れている文字を理解しながら、
とんでもない速さでキーボードを叩き、
トラブルを解決して報酬を受け取って、去って行く。
ブラックジャックみたいなプログラマを夢見てた。
結果、
プルグラマにはなったが、
コンピュータを制御出来ず、
プログラマになったがために、
コンピュータに対して無力という状況を、
必要以上に味わうはめになった。
最近も、
「○○さん(僕の名前)のソースでバグが出ましたね」
僕「す、すみません。すぐ直します。。。。。。
見切った!ここ修正したら完璧ですよ。」
「なんかデグレード(品質が悪化)しそうなとこですね」
と言って、
しぶって作業が進まないので、
「死ぬ!死ぬ!もし、ここでデグレードしたら、僕、死にますよ!」
って、自信満々に言って、
再テストするとデグレードしてた。
謝って、死ぬのは許してもらった。
で、
以下ネタバレを含みます。
小説版をはじめて読みましたが、
意味がわからんで、あっけにとられました。
もしかして、
自分がバカだから分からないだけのかも・・・
って負い目を感じつつ、
ネットで調べた。
いっそのこと
なんでボーマン、赤ちゃんになってんねん!
意味わかんねーって
笑いながら突っ込んでる方が楽しめるかもしれない。
人の感想を見ていると、
よく分からないところは、
自分なりの仮説を立てて、
SFのリテラシーはこういうところにあるんかなと思った。
スターゲートに行ってからはよく分からなかったけど、
コンピュータと人間の対話は、
映画を知ってても、とてもスリリングな読書だった。
(↑実験的にカタカナ英語を使ってみた。)
書評(10点中) 6点
以前、読書ゴマすり文を書いたときに、
うまく書けなかったけど、
ブリアンさんという第三者に向けて
読書感想文を書くのは楽しかった。
で、
自分の日記にキティと名付け、
キティへ手紙を書くように
と日記を書いている
作者アンネ・フランクの発想はすごいなと
興味をもって読むことにしました。
あなたになら、これまでだれにも打ち明けられなかったことを、なにもかもお話できそうです。
どうかわたしのために、大きな心の支えと慰めになってくださいね。
文春文庫P13より
可哀想に、まさか、全世界に公開される事となろうとは・・・。
書かれていることは、
多感な時期の二年間、ユダヤ人がナチから隠れての日々の暮らし。
戦争の見通しもたたない状態で、
閉ざされた空間で、食料も少なく、
両親との摩擦や、みんながいらだっている中で、
自分を制御しようとしている女の子の日記。
隠れ家という特殊な状態のため、
登場人物は限られそれぞれの個性が描かれている。
何の予兆もなく、いつものように、
「じゃあまた」と日記を締めくくりながら、
日記は突然に途切れ、
8人のうち7人が収容所で死んだということに
救いのなさを感じる。
あとがきに、アンネの平和へのメッセージとか書いているけど、
こんな風に日記が反戦物として使われているのがどうもひっかかる。
読みものは書き手の意図どおり読む必要はないだろうけど、
作者の意図と、
読まれ方が一致していないような。
アンネ・フランクが戦争の犠牲になったのは、
戦争反対の理由にはなるかもしれないが、、
「アンネの日記」を反戦もののテキストとして読むのは
曲解しているとさえ思うんだけど。
そんな意味で、
これからもアンネの日記の扱われ方へは興味がある。
戦争ものとか抜きにして、
アンネの悩みながら成長しようとする姿勢はすごいなと思う。
ただ、長いので飽きた。
ところで、
最初は、このアンネの日記の感想も、
アンネの日記の真似した書き方してました。
この書き方真似たら、
愚痴も活き活き書けるかなと思ったんですが、
失敗しました。
どうも、おっさんの愚痴は想像以上にぐだぐだになるなぁ。
じゃあまたこんど、おっ3より
livedoor Blogでの、おっさんの読書感想文はここで終わっている。
書評(10点中) 5点
秋の100冊で選ばれたの完全版じゃなくて、決定版だ。。。
1万円もするパソコンのキーボードを
買うかどうかで悩んでいた。
ヨドバシカメラになんども往復して、
キーボードで1万円ももったいないなぁって
2,3ヶ月もの間悩んでたら、
あほらしくなった。
もし、年収365万円だとすると、
(実年収は違うけど)
日に1万円ぐらいの価値はある。
悩んでる時間のほうがもったいないと思ったからだ。
600円ぐらいの
電気の延長コードとかでも、
1時間位ぐらいかけて悩んでいるとかあったけど、
時間のほうがもったいなかった。
こんなことに時間を使うのもったいない、
これなら時間をつぎ込む価値があるかどうかを
年収を元に、
時間もお金換算して判断基準とすると便利だと思った。
いい癖だなと思ってたんだけど、
人との付き合いの時間を換算しだすと、性格は悪くなり、
たいしたことをせずに時間を過ぎていくと、反省ばかりで
あまりよくない。
そんなことを考えていたので、
会社の状態をすべて金額で表現する制度=会計を扱ったこ
の小説を買ってみた。
トゥルルルー、トゥルルルー
ホテルの電話が鳴り出した。
「・・・はい、柿本ですけど」
僕はとりあえず受話器を取り、今日の第一声を発した。
「あっ、カッキー、ちゃんと起きてるの!?ここでの監査は今日一日しかないのよ。だから、今日は七時にホテルのロビーで集合って言っておいたでしょう!」
朝っぱらから、かわいい甲高い声が受話器を通して聞こえてきた。
「萌さん、朝からテンション高いですね」
角川文庫 P7より
上の引用は、物語の一番出だし。
まず買う前から、
表紙の主人公の絵がきれいで、
こりゃ、この表紙の絵につられて買う人が多そうだ
とは思っていた。
裏表紙には「キュートな」女子大生って書いてるし。
でも、カバーと内容は別物だと思っていた。
が、
まず、「かわいい」甲高い声
という、無意味な形容詞。
萌えるなどを連想する名前。
読み始めて、
なんてあこぎな小説や。
本を売るためやったら、
ここまでやるか、角川はんは。
と、一度、ほんとに本を置いた。
だいたい、会計士と、事件簿(読む前は殺人事件と思ってた)と、
からましているだけでも、
不自然なのに、
書き出しでこれだったら、
主人公の萌は
幼顔で、巨乳で、ツンデレで、幼馴染で
とか、とんでもないオプションがついていって
内容が破綻してるんちゃうかと
1ページでうんざりした。
不甲斐ない。
このままでは、
日本の小説は滅びてしまうぞみたいな
涙ながらに憂本の感想文を書くもの面白いかと
読み進めることにした。
読み終わっても、
題名「女子大生会計士の事件簿」だけど、
主人公が女子大生である必要性が感じられない。
初めて読む作家だと、
うまいのかなと、
ちょっと意識的に
作者とは逆の性別の口調に注意して読むけど、
主人公の萌実の口調は
ところどころ、不自然だと思った。
なに?この小説と思ってたら、
あとがきで、
<公認会計士>という目線をとおすことによって、<経理業務の奥深さ><監査のスリリングさ><会計トリックのミステリー的要素>、ひいては<会計の面白さ>を読者の皆様と一緒に楽しみたくてこの小説を書きました。
<角川文庫 P216より>
子供向けのテレビなら、
子供にこびて説明するのと同じように、
大人には、大人が喜びそうな会計の説明をするために、
こんな、書き方をしてたのか。
最近、大学受験でも、
もえたんがあったり、
アニメ声優さんが使われてるのと同じで、
萌え会計
みたいな感じか。
納得した。
読みやすかった。
会計が、
こんなに融通がきくものと知らなかった。
殺人はないけど、事件簿っていうのはうなずける。
読んだ時間を、
お金に換算したとしても価値はあった。
おっさんの感想文は
面白いかな~って、
疑りながら読むのが出発点だったけど、
感想文より、
買うまでと疑いながら読む過程が主題になってきている。。。
感想文とかいいながら「感想」自体は少ないし、
偉そうなこと言えないか...
書評(10点中) 4点
読みやすさ + 0.5点
昔、「男一匹ガキ大将」に、
(文庫版では削除されたかもしれない話で)
北海道の土地を全部買い取って、
北海道を日本から独立する
って話があった。
僕も影響されて、
よし、俺も王になろう。
と、考えていた。
しかし、悩みがあった。
で、浪人時代、
駅から予備校への道すがら、
友達に相談した。
「もしやで、
土地を全部買い取って、
日本から独立したとしてやで、
丘とか、高いとこから、
スピーカーかなんかで、
「今日から僕が王様になりました。
みんな、言うこと聞いてください」
って、言ったら、
みんな、言うこと聞いてくれるやろうか?
やかましい!、おまえの言うことなんか聞くか
って言われて、
捕まって処刑されたら、
何やってることかわからんぞ!」
友達は笑っているだけだったが、
切実な問題だった。
で、
読んだ本とはまったく関係なくなるんですが、
その後、
もう、国民はいらん。
公海外の無人島ならば、独立できるって聞いたので、
(今、ネットで調べたら真偽のほどはよく分からないが)
独立して、国連に入って、日本に居住しながら
国連で、
我が国の収益はゼロなんです!
ってうったえたら、
他国から援助してもらって、
働かんと食っていけるやろうか。
とか、
情けないことを考えていた。
というわけで、
ガリアの戦記より
戦後占領地をどのように統治したのかというのは興味があった。
カエサルは
どのように、ガリアを従えたのか。
読んでいると、
毎回、講和の条件に人質を要求して、人質を確保している。
だけど、その後、多くは離反されている。
なんか人質って関係ないんちゃうかと思う。
離反した時点での人質の扱いってどうなんだろうと思うんだけど、
その辺は言及していなかった。
人質使って、
ローマ人に尻をつつかれながら
「そんな要塞になんかに立てこもってらんで、はよ出てきーや、カエサルさんに逆らったらあかんよ」
って涙ながらに、訴えたりしているんかな
と思うんだが、
人質の人らはローマに送られ勉学に励んだ
みたいな、平和になってどうなるみたいなことしか書いていなかった。
人質は有効なのかすごい疑う。
で、戦後は、
ガリアの権力者をローマよりにして、
政体や生活習慣には
あまりあからさまに関わってらずに、
経済圏に組み込み、税は公平にとる。
みんな、言う事聞いてください。
なんて、絶対言ってない。
税金以外は、
表面上変わっていないように思える。
歴史上、ガリアはローマの一部って教えられてるけど、
実際は、生活レベルでは何も変わらず、
ちゃくちゃくと下部構造だけ変えられていったのかなと思った。
で、
次の卷では
カエサルとガリアは
クリエンテスとパトローネスの
関係になっていた。
こんな完全に制圧して1,2年でなれるもんなんかな。
それ以外では、
三頭政治がなぜあれほど、
世界史の教科書で取り上げててなんでかなと思っていたが、
三頭政治は
元老院主導崩壊の足がかりと言う重要性が納得出来てよかった。
書評(10点中) 6点
スポーツで、
感極まって抱き合ったりしているが、
本の感想で、
人と抱き合うほどのことがあるだろうか?
僕にはある。
たまたま駅であった顔見知りぐらいの人と、
駅で会って、仕事場まで話もないので
「本って読みます?」
と当たり障りのない話を切り出した。
すると、
「中高生のころは赤川次郎読んだなぁ」
と答えはった。
僕の年代か少し上の年代の人は
赤川次郎が全盛で、赤川次郎と切り替えしてくる人は多い。
こう返答された時、
今まで、ずっと疑問に思っていたことを聞いてみた。
「赤川次郎って、中高生が読むにはちょっとエロくなかったですか?」
すると、相手の方は、ふいに大笑いされて、
意味ありげな目つきでこちらを見つめてきた。
このとき、
手にあたっている冷たい液体が水だと理解して
「ウォター」と叫んだヘレンケラーのように、
今までさんざん読んできた赤川次郎は、
やっぱりエロかったんだー
と深く理解した。
叫ぶ代わりに二人は腹を抱えるぐらい大笑いし、
ほとんど面識がないおっさん同士の心は通じ合った。
それ以来、
赤川次郎を読んでたって言う人がいると
言うたろ、言うたろ
と楽しみに待っていた。
それから、かなり時がたち、
同級生だった女の子が、
「中学生のとき、赤川次郎はよく読んだよ」
って言ったので、
やっときたでと思って、
「中学生で読むと赤川次郎って、エロくなかった?」
って、得意気に聞くと
「えぇ?そ、そう?」
と、拒絶された。
握手しようと差し出した手を無視されたような感じを、
何とかつくろうとして、
他に赤川次郎というと~
と必死に考えていても
「いや、ちゃうよ、エロ本代わりに赤川次郎を読んでたんとちゃうよ」
という、わけのわからない言い訳と、
「赤川次郎って、このごろ太ってきてへん?」
ということしか頭に浮かばなかった。
僕にとって赤川次郎は世界一の娯楽作家です。
とか、過去の感想で書いてるぐらいなのに、
その時、こんな感想しか出ないのが、悔しくて悔しくて。
「赤川次郎の小説は、
ほろ苦スウィーツのようだ。」←って他の人がamazonの感想で言うてました。
のようなことを
こういうときにクールに言える大人になろう。
と、
いつものように気分転換ではなく、
今回は決意を持って赤川次郎に挑みました。
ドアを開けると、「過去」が流れ出して来て、朋余を包んだ。
「この匂い」
と、朋余は言った。「変わってないわ」
それは見た目に老け込んでしまった古い友人が、昔と同じ香水をつけているのに気付くようなものだった。
講談社文庫P233より
子供のころ、夢を見たことがない女性。
発見された幼なじみの死体。
甦る28年前の記憶。
と言っても、
夢を見たことがない=ある特定の恐怖
っていう感じで書いてるけど、
現実にそういう症例があるわけでもなさそうだ。
僕は赤川次郎の小説なら
どんな設定でも受け入れる準備がある。
許容範囲。
最終章で明かされる真実!
○○は××のベテランで...
って
えぇ~~
最終章で明かされるかぁ
知らんがな、そんなん。
でも、赤川次郎の小説で
ミステリーを期待しているわけでもないので許容範囲。
一番致命的なのは、このごろ、
赤川次郎の小説はやっぱり説教くさいと感じてしまう。
これはどうしても引っかかる。
昔から、
「言ってもわからない人はいる」
みたいなのはあったが、
あきらめて自分の道を歩むみたいなストーリーが多かった。
けど、今は、
言ってもわからない人に説教くさいこと言ってる。
それを読むのがしんどい。
赤川次郎の
主人公がつらい体験を乗越えて、
エピソードがさわやかなのは今でも好きだ。
でも、昔書いたような
「
こんなに読みやすくて、
ストレスが発散される作家は僕は知りません。
僕にとって赤川次郎は世界一の娯楽作家です。
」
ほどに、最近の書いたものは思わない。
で、
クールに赤川次郎の感想を書きたい。
って望みを抱いて読んだんですが...
「赤川次郎は、芳醇なウォターだ。」
って意味不明なのしか考え付かなかった。
クールに読書感想文語ってる自体異常だし。
普通に赤川次郎の一番面白かった作品聞こう。
書評(10点中) 4点
12年もの間、
恨みにも似た感情を抱いていた小説。
普通、小説がどんなに面白くなくても、
恨むほどのことはない。
この小説は、まず高校の時に読んで、
それから1996年のセンター試験の小説で出くわしてしまったのだ。
問題文を見た瞬間、
うわー、読んだことある小説が出題されたのを自慢しよう。
と思った。
その後、問題文を解く段になって、
血の気が引いた。
問題文から判断すると、答えは1だが、
小説全体を読んだことがあるなら、答えは2だ。
みたいな問題があったのだ。
俺はこの小説を知っているという、
他の受験生に対する変な優越感から、
小説全体のイメージを大事にしてしまい
結局、小説に時間ばっかり食って、
小説で2,3問間違った。
あの問題は間違っている。
何、あの問題?
出題者、小説全部読んでないんちゃうか。
と、12年間引っかかっていた。
その後、
センター試験の現国が他の点数と反比例して落ちていくにつれて
恨みは積もっていった。
(趣味は「読書」なんてHP作っているわりに、僕は現国の点数が極端に悪いんですが、また機会があったら書きます。)
で、
このブログでさんざんこき下ろしてやろうと
もう一回読んでから、
もう一度問題を解くことにした。
読むと、
あれ?
キスシーンがあって、ばか、そこは鼻だ
みたいなエピソードなかったっけ?
パラパラとページを戻しても、
読み飛ばしたわけでもない。
考えていると、
赤川次郎の「殺人よ、こんにちは」のエピソードやったような。。。
たぶん、
「TUGUMI」と「殺人よ、こんにちは」を
ごちゃ混ぜにしていたみたい。。。
両方読んだ人は分かってもらえると思うんだけど、
特に最後の方、ストーリー展開が似てるんですよ。。。
この段階で、
もう、問題解かなくていいかな。
と思ったんですが、
寒い中、図書館に行って、過去の新聞で
センターの問題を解いてみました。
全問正解しました。
特におかしい問題はなかった。
たぶん、引っかかってたのは、
つぐみが「おまえを好きになった」とあるが、この言い方にこもったつぐみの気持ちを端的に整理するとどうなるか?
1、乱暴と自信
2、照れと率直
3、単純と悲哀
4、媚と喜び
5、決断と高慢
無理やり探すと、この問題のような気がする。
(正解は照れと率直で、決断と高慢と答えた気がする)
つぐみに照れって言うのはそぐわない気もするが、
言う直前につぐみは顔を赤くしている。
顔が赤いのは熱のせいとしても、高慢でまりあが涙が出そうになるはずがない。
12年も逆恨みしてました。
みじめ。
で、小説ですが、
薄幸の少女を
活き活きと描いて面白かった。
最終章、
そうとう期待させて、
いまいちだったのがすごく残念。
再読
書評(10点中) 5点
読みやすさ +0.5点
そろそろ読書感想文にも
飽きてきたので、
今回は、
十五少年漂流記のブリアンにゴマをする、
読書ゴマすり文を書いてみます。
十五少年漂流記を
読ませていただきました!
ブリアン様は、
以前から、われわれと違うと思っていましたが、
こんなすごい経験をつんでおられたなんて思いもよらなかったです。
2年間も十五人の半分が幼年期の子供たちだけで
無人島で過ごすなんて奇跡っスよ。
バクスターが作った記録をもとに作っている本にもかかわらず、
ブリアン様の賛辞ばかり。
ブリアン様のことだから、
本に書かれていない活躍のほうが多いんじゃないんっスか?
ただ、本を読んでいて残念に思ったのは、
もっと、強引に、
ブリアン様をサポートする人間がいなかったことです。
北東に見た島影など、
ブリアン様の意見を積極的に採用していれば、
もっと早くこの島を抜け出せたのに。
すごく歯がゆい思いがしました。
私自身はなんの役にも立ちませんが、
もし、私がこの十五人の一員であれば、
ブリアン様意見を強く押して、
ブリアン様のお役に立てた気がしてしかたありません。
チェアマン島で貫かれた三つの精神
一、一度行うときめたことは、必ずやりぬくこと。
一、機械を失ってはならない。
一、疲れを恐れるな、疲れることなしには、値うちのある仕事はなしとげられない。
は、これからの私の生きる指針とし、
辛いことがあったとき、
一人ではとても立ち直れないと感じたとき、
十五少年漂流記を開くことにします。
十五少年漂流記は、私の座右の書です。
もし、ブリアン様自身からチェアマンの精神を
ご教授していただいたらこれに勝る幸せはありません。
やっぱり、ブリアン様は最高っスよ。
書評(10点中) 3点








