2007年9月アーカイブ

小説の基本情報 プチ修行 (幻冬舎文庫 お 28-1)表紙
プチ修行
小栗 左多里
幻冬舎 2007-08
定価:¥ 560
254ページ
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うちの母親は、
修行とか精進とか大好き人で、
読む前に感想を聞いてみようと思って、
「こりゃ、この本、読んでみ」
と、この本のタイトルを見せると
「うわぁ、こんなん探しとってん」
と、こっちが思ったとおり、喜んで本を持っていった。
読み終わると
「実際すると、こんなもんやねんやろな」
と、つまらなさそうに本を返しに来た。

僕も読んでみると同じ感想。

修行の話と聞くと
雑誌の宣伝のように、
この修行をすると、
筋肉がもりもりになり、
頭もよくなって、
異性にもてまくって、
収入も3倍になっちゃったよ。
的なご利益の話を期待してしまう。
だって、修行してなにも変わらないと意味ない。

修行をすれば、俺ってすごいんじゃない?
のような
修行というものに過度な期待をしている。

つまんないことに、
この本を読む限り、
修行しても、なんも変わんなさそう。

普通に考えりゃ、そりゃそうだろうなと思う。
「一年後に地球にサイヤ人が攻めてくる!」
って、聞いて、
自分なりに一生懸命修行しても、
ぜんぜん成長せずに一年間が終わるんだろうなと思う。

この本の修行は
雑念を払う
ということを主目的にしている。
修行だからといって
戦闘力のあげ方を期待してこの本を買ってはいけない。
実際、
修行って欲望から開放されるのを目的としているらしい(wikipedia)
作者は、雑念こそが自分でありと考え、
雑念を払うことを恐れている。
欲望から開放されることが幸せと思っていない。
作者の修行をやり始める動機と、
修行の目的があっていない。

この本を読んで、
僕は、修行という意味を間違って使っていたなと思いました。
夏目漱石の「こころ」のKみたいな生き方が修行と思ってました。
前に
自分のウリは、
広く言えば自分のリアクションを引き出すことでした。
とこのブログにも書いているけど、
僕は
修行はなんらかの雑念を引き出すための手段なのだと思ってました。
自分のリアクションを引き出すのには、
精神的に耐えることが一番いいと常々考えいて、
それは「修行」と思ってました。
(ちなみにうんこを我慢する「修行」をしたために、未だに切れ痔が治ってません。)

ところで、
この本に書いてる修行だけど
おっさんがたまに立ち上がって、
ホワイトボードに
「渇愛」
なんて書かれたら、笑いが止まらないので、
修行には参加できないと感じた。

書評(10点中) 4点 読みやすさ +0.5点

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