「おやすみ、夢なき子」赤川次郎

小説の基本情報 おやすみ、夢なき子 表紙
おやすみ、夢なき子
赤川 次郎
講談社 2002-10
定価:¥ 840
566ページ
アマゾンで詳細を見る

スポーツで、
感極まって抱き合ったりしているが、
本の感想で、
人と抱き合うほどのことがあるだろうか?
僕にはある。

たまたま駅であった顔見知りぐらいの人と、
駅で会って、仕事場まで話もないので
「本って読みます?」
と当たり障りのない話を切り出した。
すると、
「中高生のころは赤川次郎読んだなぁ」
と答えはった。
僕の年代か少し上の年代の人は
赤川次郎が全盛で、赤川次郎と切り替えしてくる人は多い。
こう返答された時、
今まで、ずっと疑問に思っていたことを聞いてみた。
「赤川次郎って、中高生が読むにはちょっとエロくなかったですか?」

すると、相手の方は、ふいに大笑いされて、
意味ありげな目つきでこちらを見つめてきた。

このとき、
手にあたっている冷たい液体が水だと理解して
「ウォター」と叫んだヘレンケラーのように、
今までさんざん読んできた赤川次郎は、
やっぱりエロかったんだー
と深く理解した。
叫ぶ代わりに二人は腹を抱えるぐらい大笑いし、
ほとんど面識がないおっさん同士の心は通じ合った。

それ以来、
赤川次郎を読んでたって言う人がいると
言うたろ、言うたろ
と楽しみに待っていた。

それから、かなり時がたち、
同級生だった女の子が、
「中学生のとき、赤川次郎はよく読んだよ」
って言ったので、
やっときたでと思って、
「中学生で読むと赤川次郎って、エロくなかった?」
って、得意気に聞くと
「えぇ?そ、そう?」
と、拒絶された。
握手しようと差し出した手を無視されたような感じを、
何とかつくろうとして、
他に赤川次郎というと~
と必死に考えていても
「いや、ちゃうよ、エロ本代わりに赤川次郎を読んでたんとちゃうよ」
という、わけのわからない言い訳と、
「赤川次郎って、このごろ太ってきてへん?」
ということしか頭に浮かばなかった。

僕にとって赤川次郎は世界一の娯楽作家です。
とか、過去の感想で書いてるぐらいなのに、
その時、こんな感想しか出ないのが、悔しくて悔しくて。

「赤川次郎の小説は、
 ほろ苦スウィーツのようだ。」←って他の人がamazonの感想で言うてました。
のようなことを
こういうときにクールに言える大人になろう。

と、
いつものように気分転換ではなく、
今回は決意を持って赤川次郎に挑みました。

ドアを開けると、「過去」が流れ出して来て、朋余を包んだ。
「この匂い」
と、朋余は言った。「変わってないわ」
それは見た目に老け込んでしまった古い友人が、昔と同じ香水をつけているのに気付くようなものだった。
講談社文庫P233より

子供のころ、夢を見たことがない女性。
発見された幼なじみの死体。
甦る28年前の記憶。

と言っても、
夢を見たことがない=ある特定の恐怖
っていう感じで書いてるけど、
現実にそういう症例があるわけでもなさそうだ。
僕は赤川次郎の小説なら
どんな設定でも受け入れる準備がある。
許容範囲。

最終章で明かされる真実!
○○は××のベテランで...
って
えぇ~~
最終章で明かされるかぁ
知らんがな、そんなん。
でも、赤川次郎の小説で
ミステリーを期待しているわけでもないので許容範囲。

一番致命的なのは、このごろ、
赤川次郎の小説はやっぱり説教くさいと感じてしまう。
これはどうしても引っかかる。
昔から、
「言ってもわからない人はいる」
みたいなのはあったが、
あきらめて自分の道を歩むみたいなストーリーが多かった。
けど、今は、
言ってもわからない人に説教くさいこと言ってる。
それを読むのがしんどい。

赤川次郎の
主人公がつらい体験を乗越えて、
エピソードがさわやかなのは今でも好きだ。

でも、昔書いたような

こんなに読みやすくて、
ストレスが発散される作家は僕は知りません。

僕にとって赤川次郎は世界一の娯楽作家です。

ほどに、最近の書いたものは思わない。

で、
クールに赤川次郎の感想を書きたい。
って望みを抱いて読んだんですが...
「赤川次郎は、芳醇なウォターだ。」
って意味不明なのしか考え付かなかった。

クールに読書感想文語ってる自体異常だし。

普通に赤川次郎の一番面白かった作品聞こう。

書評(10点中) 4点