外国の作家: 2006年3月アーカイブ

異邦人 カミュ異邦人
カミュ
新潮社 1954/09
定価:¥ 420

アマゾンで詳細を見る
小学校6年のころ、 母親が息子の僕に愛想をつかして実家に帰ってしまった。 別に母がいなくても困りはしないが、 父と二人で残されたのが苦痛だった。 なぜなら、一番災難なのは残された父で、 会社から帰ると母がいないし、母の実家にも顔がたたない。 当然、僕は相当父に気をつかった。 晩御飯にほかほか弁当と2つ買って 2つのうち好きなほうを父にとってもらって、 そんな悲惨な父と二人で晩御飯を黙々と食べた。 朝ごはんは、食パンとインスタントコーヒーを作って食べた。 朝ごはんの食器を洗おうとしていると、 カッターシャツ姿の父が台所に来た。 「僕が洗うから…」 というと、 「いい」 と言って、 無言で狭い台所に二人で並んで しばらくシャーッって食器を洗っていると、 たわしを持っている父の手がプルプル震えだして、 「なんで俺がこんなことせなあかんねん!」 と、食器に向かって吐き捨てた。 だから、洗わんでいいっていうたやん って、 実家に帰った母も、父も含め、 子供のころは大人すべてが不条理だと思った。

不条理だと思ってたことを、
今考えると、
父が何を母が僕に怒ったか知らないので、
とにかく怒りの矛先を向けるために
こんなインネンつけるような怒り方をしたのかなと思うし、
母に関して、実家に帰ったのは
母に怒られても聞かない僕と、
子供を怒ってくれない父に対する
一種の「手」だったのかなと思う。
そうだとしたら、そうとう計算しとる。

一方、小説の感想。
不条理な話の、小説界の最高峰と言われてる作品。
当然、主人公のムルソー、変なことやったれ、やったれ
って期待して読むと、思ったより普通。
僕はあまり不条理に感じなかった。

一方、私は、肉体的な欲求がよく感情を邪魔するたちだという、説明をした。ママンを埋葬した日、私はひどく疲れていて、眠かった。それで、起こったところのことを、よく了解できなかったのだ。私が確信をもっていいうることは、ママンが死なない方がいいと思ったということだけだ。
新潮文庫 P68より

葬式では悲しくなくても、
悲しむ演技をしなければならない。
演技をしなければ、不条理だという。
ムルソーはそういった慣習的に行われている演技よりも
疲れた、眠いなど肉体的に感じることを真理とした。
そして、殺人さえも太陽のせいにした。

もし、あの母が実家に帰った日、父がマラソンに出場していたら、
疲れて、その日母がいてもいなくてもどうでもよくなったのではないだろうか。
もし僕ならマラソンした後の肉体状態で、
何があっても怒ったり悲しんだりする余力がないと思う。
訃報があっても、
あっ、そう
って言って訃報を持ってきた人を驚かせるかもしれない。

関係ないけど、そういう時、
「貴様!悲しくないのか!」と殴りかかられた瞬間、
隠し持ったミニトマトを握りつぶして、
握りこぶしから、赤い汁を滴り落として、
「やつは心の中でないているのだ。そういう男よ」
と言われて非難をかわしてみたい。

でも、まぁ、この世間一般に悲しむ約束事があるから、
堂々とお休み取れるわけで。

難しい小説。

書評(10点中) 5点
読みにくさ -0.5点
趣味は「読書」:異邦人

このアーカイブについて

このページには、2006年3月以降に書かれたブログ記事のうち外国の作家カテゴリに属しているものが含まれています。

前のアーカイブは外国の作家: 2006年2月です。

次のアーカイブは外国の作家: 2006年5月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

カテゴリ