あ行の作家の最近のブログ記事
たまたま、新潮エンターテインメント新人賞の
江國香織の選評を読んでいて、
「小説は、何が書かれているか、ではなく、どう書かれているか、が問題で、だから言葉ですべて説明してはいけない。言葉は、一つ一つが全部起爆剤です。」
みたいな事を書いていた。
こんな風に小説を考えてるんだと思って、
久しぶりに読んでみたくなった。
で、
読んでみたこの「なつのひかり」は面白くないと思う。
江國香織の小説だったら、
これより面白い小説のほうが多い。
ある意味選評どうりというか、
何が書かれているか分からない上に、
起爆剤にもならない。
これほどまでに、
何が書かれているか分からないのは初めて。
ヤドカリが風呂に入ったり、
キャラメルの箱で電話をしたり、
いきなり外国に行ったり、
脈絡が見えない。
にもかかわらず、完全に不思議の国にしているわけでもない。
どこまで真に受けていいのかわからなくて戸惑う。
あとがきで、三木卓がいっているように、
江國香織は、言葉だけで感覚の快楽を味あわせてくれる珍しい作家と思う。
でも、この小説は、あまりない。
小説単品としてはいまいちだったけど、
ただ、今まで読んだ江國香織と比べるという面で言うと、メグが毛色が違ってよかった。
↓メグの登場シーン。
なんということだろう。調子のはずれた歌みたい。ひどくちぐはぐな女の人だ。棒のように瘦せた手足と子供じみて平板な胸、頭に鳥の巣をのせたような、奇妙な髪の毛は黄色く脱色されている。(中略)陽気な顔つきなのに、おそろしく不幸な空気を漂わせた人だ、と思った。そのアンバランスが、独特のオーラとなって彼女をとりまいている。
集英社文庫 P55より
この小説は違うけど、
江國香織の小説は
主人公にいつのまにかシンクロして
主人公の感覚にどっぷりつかって楽しましてもらう。
主人公が好きなものは、読んでるほうもとても愛らしく思う。
独特の雰囲気をもつ江國香織の小説の中で
主人公の空気を読めなくて、
主人公に悪感情をもたれる登場人物を知らなかったので、
僕には目新しくて、メグが出てくるところは楽しめた。
メグが何をしても、悪く思われる。
主人公が気に入らないものは、ここまで言うかと思った。
書評(10点中) 3点
うっひょ~、
来よった、来よった。
読書の夏が。
新潮文庫の100冊。夏の100冊。ナツイチ。
なんて贅沢なんや。
わいは、本を読むことしか楽しみのない人間でしてな、
これだけが楽しみで生きとんのや。
どんな本、読ましてくれんねやろか楽しみでんな。
では、手始めナツイチで選ばれた本から。。。
漫画家一条ゆかり先生が、男ゴコロ、恋愛哲学、恋愛成就テクニックを漫画をまじえつつ披露。
集英社文庫 裏表紙より
男ゴコロ・・・
売れ残るべくして残ってる男もイヤだし
集英社文庫 P46より
うぐっ
ダメな男に注ぐ時間とエネルギーとお金があるなら、ほかの男を捜すために使ったほうが建設的!
集英社文庫 P62より
なんや!
この小説は!
女向けなやいか!
わしゃ、男や!
ええ年したおっさんや!
男はみんなマザコンやて!?
しかも、この本の内容ときたら
駄目男はぜんぜん相手にされへんようになるやないか!
もうたくさんや!
これやから、東京もんはイヤなんや
あんたらみたいな無神経な人間には
相手にされん、駄目な男ゴコロは分からんのや
金輪際、集英さんの小説に感想は書かんからな
書評(10点中) 5点
ネタくさい感想文を書いてしまった。
次回に続きます。
実際は、
これはこういうもんだ!と
ズバッと断定していることが、
違和感なく受け入れられるので、
スッキリするいい本だと思いました。
作者は東京生まれじゃなくて、
岡山生まれらしいです。
二人の書き手が、
一つテーマを
前半パートと後半パートに分かれて
交代で書く珍しいスタイルのエッセイ。
エッセイなのに
だらだらとした感じを受けないのは
常にもう一方の書き手を
意識して書いているからかもしれない。
二人で書いていると、
どうしても比べてしまう。
檀ふみ自身も書いてたけど、
阿川佐和子よりも原稿に時間をかけてる感じがする。
毎回、コンスタントに面白いのは、阿川佐和子
つぼに入れば面白いけど、空回りする回もある、檀ふみ
一番面白かった回は、檀ふみ
一番面白くなかった回は、檀ふみ
全般的に楽しい。
二人とも、作家の父を持つ共通点を持つ。
エッセイで、
家族(特に父親)が
こんなに頻繁に出ているのも珍しい。
育ちのよさも伝わってくる。
二人の仲のよさも伝わってくる。
背表紙に
阿川佐和子と檀ふみが二人で楽しそうに写っている
筆者写真がある。
筆者写真を
本を読んでいる途中で、
何回も見返したのは初めて。
書評(10点中) 5点
スポーツで、
感極まって抱き合ったりしているが、
本の感想で、
人と抱き合うほどのことがあるだろうか?
僕にはある。
たまたま駅であった顔見知りぐらいの人と、
駅で会って、仕事場まで話もないので
「本って読みます?」
と当たり障りのない話を切り出した。
すると、
「中高生のころは赤川次郎読んだなぁ」
と答えはった。
僕の年代か少し上の年代の人は
赤川次郎が全盛で、赤川次郎と切り替えしてくる人は多い。
こう返答された時、
今まで、ずっと疑問に思っていたことを聞いてみた。
「赤川次郎って、中高生が読むにはちょっとエロくなかったですか?」
すると、相手の方は、ふいに大笑いされて、
意味ありげな目つきでこちらを見つめてきた。
このとき、
手にあたっている冷たい液体が水だと理解して
「ウォター」と叫んだヘレンケラーのように、
今までさんざん読んできた赤川次郎は、
やっぱりエロかったんだー
と深く理解した。
叫ぶ代わりに二人は腹を抱えるぐらい大笑いし、
ほとんど面識がないおっさん同士の心は通じ合った。
それ以来、
赤川次郎を読んでたって言う人がいると
言うたろ、言うたろ
と楽しみに待っていた。
それから、かなり時がたち、
同級生だった女の子が、
「中学生のとき、赤川次郎はよく読んだよ」
って言ったので、
やっときたでと思って、
「中学生で読むと赤川次郎って、エロくなかった?」
って、得意気に聞くと
「えぇ?そ、そう?」
と、拒絶された。
握手しようと差し出した手を無視されたような感じを、
何とかつくろうとして、
他に赤川次郎というと~
と必死に考えていても
「いや、ちゃうよ、エロ本代わりに赤川次郎を読んでたんとちゃうよ」
という、わけのわからない言い訳と、
「赤川次郎って、このごろ太ってきてへん?」
ということしか頭に浮かばなかった。
僕にとって赤川次郎は世界一の娯楽作家です。
とか、過去の感想で書いてるぐらいなのに、
その時、こんな感想しか出ないのが、悔しくて悔しくて。
「赤川次郎の小説は、
ほろ苦スウィーツのようだ。」←って他の人がamazonの感想で言うてました。
のようなことを
こういうときにクールに言える大人になろう。
と、
いつものように気分転換ではなく、
今回は決意を持って赤川次郎に挑みました。
ドアを開けると、「過去」が流れ出して来て、朋余を包んだ。
「この匂い」
と、朋余は言った。「変わってないわ」
それは見た目に老け込んでしまった古い友人が、昔と同じ香水をつけているのに気付くようなものだった。
講談社文庫P233より
子供のころ、夢を見たことがない女性。
発見された幼なじみの死体。
甦る28年前の記憶。
と言っても、
夢を見たことがない=ある特定の恐怖
っていう感じで書いてるけど、
現実にそういう症例があるわけでもなさそうだ。
僕は赤川次郎の小説なら
どんな設定でも受け入れる準備がある。
許容範囲。
最終章で明かされる真実!
○○は××のベテランで...
って
えぇ~~
最終章で明かされるかぁ
知らんがな、そんなん。
でも、赤川次郎の小説で
ミステリーを期待しているわけでもないので許容範囲。
一番致命的なのは、このごろ、
赤川次郎の小説はやっぱり説教くさいと感じてしまう。
これはどうしても引っかかる。
昔から、
「言ってもわからない人はいる」
みたいなのはあったが、
あきらめて自分の道を歩むみたいなストーリーが多かった。
けど、今は、
言ってもわからない人に説教くさいこと言ってる。
それを読むのがしんどい。
赤川次郎の
主人公がつらい体験を乗越えて、
エピソードがさわやかなのは今でも好きだ。
でも、昔書いたような
「
こんなに読みやすくて、
ストレスが発散される作家は僕は知りません。
僕にとって赤川次郎は世界一の娯楽作家です。
」
ほどに、最近の書いたものは思わない。
で、
クールに赤川次郎の感想を書きたい。
って望みを抱いて読んだんですが...
「赤川次郎は、芳醇なウォターだ。」
って意味不明なのしか考え付かなかった。
クールに読書感想文語ってる自体異常だし。
普通に赤川次郎の一番面白かった作品聞こう。
書評(10点中) 4点
うちの母親は、
修行とか精進とか大好き人で、
読む前に感想を聞いてみようと思って、
「こりゃ、この本、読んでみ」
と、この本のタイトルを見せると
「うわぁ、こんなん探しとってん」
と、こっちが思ったとおり、喜んで本を持っていった。
読み終わると
「実際すると、こんなもんやねんやろな」
と、つまらなさそうに本を返しに来た。
僕も読んでみると同じ感想。
修行の話と聞くと
雑誌の宣伝のように、
この修行をすると、
筋肉がもりもりになり、
頭もよくなって、
異性にもてまくって、
収入も3倍になっちゃったよ。
的なご利益の話を期待してしまう。
だって、修行してなにも変わらないと意味ない。
修行をすれば、俺ってすごいんじゃない?
のような
修行というものに過度な期待をしている。
つまんないことに、
この本を読む限り、
修行しても、なんも変わんなさそう。
普通に考えりゃ、そりゃそうだろうなと思う。
「一年後に地球にサイヤ人が攻めてくる!」
って、聞いて、
自分なりに一生懸命修行しても、
ぜんぜん成長せずに一年間が終わるんだろうなと思う。
この本の修行は
雑念を払う
ということを主目的にしている。
修行だからといって
戦闘力のあげ方を期待してこの本を買ってはいけない。
実際、
修行って欲望から開放されるのを目的としているらしい(wikipedia)
作者は、雑念こそが自分でありと考え、
雑念を払うことを恐れている。
欲望から開放されることが幸せと思っていない。
作者の修行をやり始める動機と、
修行の目的があっていない。
この本を読んで、
僕は、修行という意味を間違って使っていたなと思いました。
夏目漱石の「こころ」のKみたいな生き方が修行と思ってました。
前に
自分のウリは、
広く言えば自分のリアクションを引き出すことでした。
とこのブログにも書いているけど、
僕は
修行はなんらかの雑念を引き出すための手段なのだと思ってました。
自分のリアクションを引き出すのには、
精神的に耐えることが一番いいと常々考えいて、
それは「修行」と思ってました。
(ちなみにうんこを我慢する「修行」をしたために、未だに切れ痔が治ってません。)
ところで、
この本に書いてる修行だけど
おっさんがたまに立ち上がって、
ホワイトボードに
「渇愛」
なんて書かれたら、笑いが止まらないので、
修行には参加できないと感じた。
書評(10点中) 4点
読みやすさ +0.5点
ほこりのかぶった小説が、
「テレビ放送中」と押し出されてるのを
より見るけど、
買おうと思ったことはありませんでした。
今回は、新潮文庫の100冊で選ばれたので購入。
読んでみると、
両親が、大河ドラマを見てる隣で、
「来週は、板垣信方が死ぬごろやなぁ」
「いやぁ、原作では・・・」
と、言うのは気分が晴れる。
山本勘助は有名だけど、実在が疑問視されていた。
だから、一体何を書くんだろうと思っていたら、
話の骨は諏訪の由布姫だった。
「みんな死んで行く。せめてわたし一人は生きていたい」
姫は言った。その言葉は勘助が今まで耳にきらきらした異様な美しさを持ったものであった。武家の女なら誰も口に出すのを憚る言葉だったが、心を直接打ってくる何かがあった。
新潮文庫 P63より
勘助は信玄に献身的で、
強気な由布姫に振り回されてるだけの存在で、
キャラクターとして今ひとつ。
目立った戦術も出ずに今ひとつ。
せめて
由布姫をもっと前に出して諏訪への執念か、
生への執着を出してほしかった。
引用のシーン以外
全体的にすっきりしていて
どろどろ感がなかったのが残念。
最後の川中島の戦いで、
勘助の作戦が完全に裏目に出たときの
勘助の焦燥感と、
信玄の落ち着いた態度が
仕事柄
バグを出しておろおろしているプログラマーと
落ち着いて考えてるシステムエンジニアを思い浮かべて面白かった。
書評(10点中) 4点
高校の時に読んで、
あまりのすばらしさに無性に薦めたくなり、
無理やり友達に貸したら
何時までも読まなくて返ってこず、
図書館に置いてもらおうと
図書館の先生に「何で十角館の殺人を置かないんですか?」と聞くと、
「失礼なアンケート書いたのあんたやったんか!」
って怒らるもとになった小説。
↑
聞く前に
十角館の殺人を置かないのは
図書館の怠慢や、
なんも本の事を分かってない
みたいなことを
友達と匿名で意見箱に投書してた。
ミステリー好きの人なら
何をいまさらというぐらい有名な小説ぐらいで、
薦めるのが恥ずかしいぐらいだけど、
読んでない人はぜひ読んだ方がいい。
これは読まないと、損。
感想を書きたいけど、
amazonのカスタマーレビューとかも含め
何も見ずに読んだ方がいい。
あらかじめ
怪しいところを匂わしちゃってるのを読んで
そこなうなんてもったいない。
再読
書評(10点中) 8点
たまたま時期悪く読んで、
おお泣きしてしまった、小説。
本屋で本を探していると、
この本の解説が、
「あすは檜になろうと念願しながら、永遠に檜になれないという悲しい逸話を背負った"あすなろ"の木に託して、...」
って書いてて、
あれ?漫画の
「第三野球部」
では、
あすなろって、あすはなろうという姿勢が大事で
結果は二の次みたいな扱い方じゃなかったかな?
有名な小説だから聞いたことはあったけど
まだ読んだことなかったな
って目にとまった。
あすなろが悲しい木?どういうことだろうと、
読んでいくと、
机の前に克己と書いて勉学に励んでいる少年が、年上のお姉さんに
「教えてあげるわよ、誘惑って知っている?勉強する人誘惑するの、面白いからよ」
新潮文庫P38
って、骨に抜きにされて、「いいよ、勉強はあすやるよ、あすやる」みたいな悲しい話やったんか!
...、ちゃうかった。
と、いやらしい話、
これを(やったんか!...、ちゃうかった。と)2,3章続けてると
感想一個できるわ。
感想が安上がりの小説に当たってよかったで。
感想の筋書きができたので
後書きやすいなと思って、
最後の名シーンを読んで一章終えた。
↓一章最後のシーン
「あすは檜になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ。でも、永久に檜にはなれないんだって!それであすなろうと言うのよ」
と、多少の軽蔑をこめて説明してくれたことが、その時の彼女のきらきらした眼と一緒に思い出されて来た。
あすなろの木の下で二人が横たわっているそのことに何の意味もあろう筈はなかったが、その木の命名の哀れさと暗さには、加島の持つ何かが通じているように鮎太には思われた。
新潮文庫P42
時期が悪かったことに、
「スローカーブを、もう一球」にも影響され、
親に、
「受験生のころみたいな崩れた生活リズムになるかもしれん。
久しぶりにまたやるわ。」
と、久しぶりにやる気を出しかけてたとこだった。
たまたま同僚と飲みに行った。
だいぶ飲んでると
急に「あすなろ」の哀れさが身にしみてきた。
今のままでは劣等感に押しつぶされそうで、
明日は何かになろうとしても、
永遠になれない力のなさ。
だいたいが、あつかましくも、
心の中では、檜になれると思っている浅ましさ。
なれない雲の上のものやのに永遠に足掻いてるって、
いつまでやってんねん。
もう、いい年やないか。
もういい、もういい。
でも結局は明日はなるって思ってないとやってられない。
わかる。わかるぞ、あすなろ!
バーで音楽聴いて気分が高揚してたのもあったけど、
トイレで、どばーっと涙が出てきた。
店の人がトイレで何してんねんって心配するぐらい
涙がとめどなくでてきた。
「第三野球部」の解釈のように
結果を求めずがんばってると、
あすなろは立派な木と見るのはうまくまとまって、奥行きがない。
望みがないのに永久にがんばってる「あすなろ」を
哀れで可哀想という見方で考えると
すごく泣けてきた。
読んだ時期が悪かった。
せめて、読みきってしまっていれば
泣くような小説でもなかったのに。
書評(10点中) 7点
やる気が出てきたので久しぶりに
速読日記復活。
まず、さっさとホームページ作り上げちゃうことにしました。
派遣先で
僕は、年下の同僚のことを、
「お父さん」と呼んでいた。
派遣先での仕事が終わり、
仕事場所が変わる時、
三ヶ月以上たってはじめて、
今までなぜ彼を「お父さん」と呼んでいたのか
本当の理由を語った。
「派遣先で、実際の年齢知らん人が
お父さんって呼んでるのを耳にはさんだら、
こっちが年下と思われて、
仕事もややこしいのはそっちにいくし、
実年齢より若く見られるやろ」
と、
どうだ、いいところに目をつけただろうという感じで
少し誇らしげに言うと、
「お父さん」は
「こすい!○○さん、こす過ぎますわっ」
と、
実年齢より若く見らたところで、どうすんねんって感じで
ちょっと嘆くように言った。
僕は、こすいと言われて、
なんてぴったりな日本語を使うんだと軽く感心した。
ぴったりくる当てはまる日本語は美しいなぁと思って
「文章の中にある言葉は、辞書の中にあるときよりも美しさを加えていなければならぬ。」と本の中で言ってた
芥川龍之介の本の一つを再読することにしました。
読むと、
相変わらず面白いところが分からない。
羅生門とか面白いなと少し思うけど、
教科書で授業して人がすごいすごいと言うところがわからない。
で、
「鼻」は、夏目漱石が絶賛しているらしいので、
漫才のどこが面白いか説明してもらうぐらい
無粋な気もするけど、
一体、夏目先生はどこを絶賛してるのか調べることにしました。
調べてみると、
夏目先生曰く
①落着があつて巫山戯(ふざけ)てゐなくつて自然其侭(そのまま)の可笑味(おかしみ)がおつとりと出てゐる所に上品な趣があります。
②夫から材料が非常に新しいのが眼に付きます。
③文章が要領を得て能く整ってゐます。
のが、「鼻」がいい点らしい。
確かに、「鼻」は①②③の点を満たしてるのはわかる。
でも、それが正直面白いとは思えない。
その続きで、
夏目先生曰く
「文壇で類のない作家になれます。然し「鼻」丈では恐らく多数の人の眼に触れないでせう。触れてもみんなが黙過するでせう。そんな事に頓着しないでずんずん御進みなさい。群衆は眼中に置かない方が身体の薬です。」
と書いているから、
文壇に類のない作家になるためにの作品で
群集向けではないってことなら納得。
黙過。←なんかぐだぐだ感想書いてるけど
これで、
学校とかで義務的に感想書けって言われたら苦痛だろう。
逆に、夏目先生と同じところ誉めてたら満点なんかな。
夏目先生の小説は面白いのもあって好きなんだけどなぁ。
「鼻」を「ちん○ん」に置き換えて読むと
なんで、毎回飯になると、
ちん○ん、板にのせながら食ってんだよ
と、夏目先生の言うそのままのおっとりした面白みが引き立つ。
はぁ、面白いのレベル低いな、僕。
書評(10点中) 4点
![]() | だから、あなたも生きぬいて 大平光代 講談社 2003/05 定価:¥ 580 アマゾンで詳細を見る |
「だから、あなたも生きぬいて」
も、
私は非行から立ち直って成功しました。
「だから」、(私のように)あなたも生きぬいて
という、意味かと思い、
上から目線の書名が不愉快でした。
じゃあ、この人のゴールは何?
自分の何を栄光と思って、
自分を手本にしなさいみたいなこと言ってんの?
と、
最後の終わり方が非常に気にして読みました。
で、
読むと、いい小説だった。
完全に書名から思い違いしてました。
終章は「後悔」で終わるように、
自分の人生を成功だと思っていない。
この小説を読んで、
(まったく、人の迷惑にならない、
人に心配をかけない人生を波乱万丈と呼ばないとして)
人の道を外れて波乱万丈の人生を
自慢げに言う人への違和感が分かった気がしました。
人に申し訳ない。心配をかけてしまった。
と言う気持ちがわかないのかなと言うことです。
自分が立ち直ったから、
すごいであって、自己完結してる。
もし、迷惑をかけた人が生きていて、
許してくれるなら、
少しは自分の気ははれるかもしれない。
しかし、更正する前に、
迷惑をかけた人が死んでしまったら、
どんなに更正しても許されることはない。
一生悔やみながら
生きていかなければならないのに、
いや~、昔はやんちゃでした。
と、笑って済ませれるような、
それをかっこいいと思わせる風潮に
違和感を感じていたんだと思います。
この小説は、
過去に道を外れてしまったことを後悔して、
一生罪悪感を背負いながら、
残った母親への孝行を誓って終わっている。
生きていれば
いつでも、探せばチャンスはある。
今までの、償いができる。
生きていることだけでも、親孝行だ。
「だから」あなたも生きぬいて
という書名なのかなと思った。
久しぶりに半泣きになりながら小説を読みました。
書評(10点中) 7点
読みやすさ +0.5点
趣味は「読書」:だから、あなたも生きぬいて









